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知覧.特攻和平会館 |
Second Life
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12日目 指宿から霧島へ 指宿『吟松』9:30チェックアウト 今日は知覧から高速道路で鹿児島を通過し霧島に向う。 10:30特攻の町・知覧到着。特攻和平会館へ。 1941年完成した知覧飛行場は太平洋戦争末期沖縄戦で本土最南端の特別攻撃隊の出撃地となった。 特攻和平会館にはその戦いに出陣した若い隊員の遺品・遺書が保存展示されていた。 出陣前父母や家族を思いやりながら自身の覚悟をつづった遺書とも言える手紙、基地での生活の様子、出陣前の覚悟の気持ちを書いた色紙など館内いっぱいに並べられひとつひとつ見させていただくが、ただただ切ない気持ちで胸がいっぱいになる。 平和の礎となるためと信じつつ命をささげ散っていた多くの方々に心から感謝したい。 |
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子供達に戦争について教科書の中で教えるのも必要だが、このような場所を一度訪れる事の方がより戦争についての考え方が定まるのではないかと思った。 和平会館からすぐの知覧の町中で、隊員たちから母と慕われた鳥浜トメさんの富屋食堂が現存していた。 高倉健主演映画『ほたる』の舞台にもなった家。 |
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富屋食堂 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
『ほたる』について 昭和4年、トメ27才の時「富屋食堂」を開く。普段は、うどん・そば・どんぶりもの、夏は、かき氷なども出し、繁盛する。トメの気さくな性格と食堂の家庭的な雰囲気に惹かれ、トメは少年飛行兵たちを我がこのように面倒をみて隊員達も「お母さん」と呼ぶようになった。戦況は悪化し、この小さな町知覧にも、特攻という非常な作戦が遂行される様になる。宮川軍曹は「明日ホタルになって帰って来るよ」と言い残し出撃した。その夜富屋食堂にいたトメと娘たち、出撃前の隊員たちは一匹のホタルを見て「同期の桜」を歌い、涙を流した。 |
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富屋食堂から武家屋敷跡など見て歩き駐車場に戻る。 知覧から指宿スカイラインの知覧インターに入り右に桜島見ながら走り九州自動車道・溝部鹿児島空港インター をおり霧島へ。 |
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霧島神宮へ14:00到着。 祭神は天照皇大神(あまてらすおおみのかみ)の孫に当たる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) 宮崎の神社はどこも天孫降臨の地らしく雰囲気がみな同様に厳かだ。 |
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霧島神宮由緒 出典『Wikipedia』 |
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欽明天皇の時代、慶胤(けいいん)なる僧侶に命じて高千穂峰と火常峰の間に社殿が造られたのが始まりとされる。実際の所は高千穂峰に対する山岳信仰から始まった神社であろう。 しかし、火山の麓にあるという立地のためたびたび炎上する。天暦年間には性空により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に遷されるが、ここもたびたび噴火の巻き添えで炎上する。文明16年(1484年)、島津忠昌の命により兼慶が再建したのが、現在の霧島神宮である。但し、建物はその後も幾度も炎上し、現在の社殿は正徳5年(1715年)、島津吉貴の奉納により再建した物である。 明治期の神仏分離令が発令されるまでは西御在所霧島権現と称し、本地堂は十一面観音。別当寺に華林寺を有する。 霧島山を中心とした修験僧による霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしていた。 歴代島津氏の尊崇篤く、島津義久は、天正6年(1578年)耳川の戦いに臨む途中に参拝して鬮を引き、また九州北上にあたっても天正14年(1585年)6月に日向国惣先達職の面高善哉坊と重臣山田有信を、再び9月に吉田清存を、それぞれ遣わして鬮を引き侵攻方面を決めるなど、重要事の決定に際したびたび神慮を仰いでいる。 また、御神木の杉は樹齢約800年と推定され、南九州の杉の祖先ともいわれている。 |
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霧島神宮参詣した後15分位山道を走り、今夜の宿『旅行人山荘』に15:00到着 山荘という名前がつく通り素朴な作りの宿でお風呂が自慢の宿。 |
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霧島『旅行人山荘』 |
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『旅行人山荘』桜島も望める足湯。湯ノ花いっぱいの いいお湯 |
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貸切露天風呂『赤松の湯』入口 |
鹿がお風呂前を左から 右に横切っていく |
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宿の予約時に一緒に予約しておいた宿一番人気の露天風呂『赤松の湯』へ行く。 1階大浴場横から外に出て大きな芝生の広場を抜けた林の中にひっそりと入口がある。 木戸を開けると脱衣場、その先に名前通りの赤松の下に2つの露天風呂。お風呂の周りはただ木々しか視界に入ってこない、見上げると紅葉の間から空が霞んで見える、こんな自然に囲まれた静かな露天風呂は初めて。 いつまでも入っていたい気持ちになる。 |
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貸切露天風呂『赤松の湯』 |
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温泉に浸っていると、林の中になにやら黒く動く物体発見、眼を凝らして見ると、牛かと見まがうような大きな鹿。しばらく見詰めていると、がさがさとこちらに向って来る。緊張しているその瞬間湯船の前を飛び跳ねながら横切り林の中へ消えて行った。 夕食の時従業員の方にその様子を話すと『運がいいですね、なかなか会えないんですよ。他に白い猪もいるんです』どちらともいえないが猪より鹿の方でよかったかも知れない。 |
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夕食は2階のレストランで。 量・質共期待はずれだが低廉な料金な分いいお風呂がそれを埋め合わせている。 |
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旅行人山荘から桜島方面の夕景 |
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部屋の窓からは町の向こうに遠く桜島が霞んで見える。 内風呂もなかなか風情があり湯ノ花の多さがいい泉質を物語っている。 いいお風呂に入り気持ちよく床に入る。 |
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霧島・旅行人山荘の朝食 |
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12月20日、今日は最後の目的地 宮崎へ。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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えびの高原の韓国岳 |
Second Life |
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九州周遊も13日目、明日は最終日。 今日は最後の目的地 宮崎へ。 霧島温泉『旅行人山荘』を9:00にチェックアウト、えびの高原を韓国岳を右に見ながら下る。 数日前の雪がまだ残り日陰の道路わきは凍結箇所が多い。 慎重に安全運転で小林へ。 小林インターから宮崎自動車道に入り宮崎インターへ。 大淀川を渡り12:00宮崎市内へはり、神宮横の宮崎県総合博物館を見学する、 無料だが展示物は宮崎の歴史文化を詳しく紹介していて本格的。 |
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宮崎県総合博物館 |
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13:00〜博物館隣接の初代神武天皇を主祭神としている宮崎神宮を参拝。 |
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宮崎神宮 |
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宮崎神宮参拝後、九州旅行最後の宿フェニックス・シーガイア・リゾートの『シェラトン.グランデ.オーシャンリゾート』に向かう。 16:00到着チェックイン。28階の部屋は正面は一面がガラス窓50uの広さでゆったり。 海岸線から太平洋が地平線までひろがり、真下はゴルフコースでプレーする様子が見え、ロングドライブの球筋を上から見えて面白かった。 |
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シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート |
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着替えてホテル自慢の天然温泉『松泉宮』に行く。 3階まで降りホールを横切り連絡通路を進み専用エレベーターで1階へ、更に外廊下を歩いて松林の中に設けられている『松泉宮』へ。 温泉内は照明も必要最小限にして落ち着いた雰囲気で静かにゆっくり入浴できる。。 宿泊&入浴で宿泊したが温泉のみ利用は貸切離れ湯\5000,月読(普通湯)\2800と高料金にもかかわらずプレー後のゴルフ客など外来客も多い。 |
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ゆっくり温泉に入った後夕食は1階の和食レストラン。 素材は新鮮そのもの料理も上品でゴルフリゾートらしくハイレベル。 |
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明日でいよいよ旅行も最後日。40年も前になるだろうか、青春時代僅かな時間を過ごした日南を最後の訪問地にする。国内旅行をこんなに長くしたの初めてでこれもセカンドライフのおかげと思う。 |
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旅行最後の日はシェラトン・グランデ・オーシャンリゾーの朝食から始まる。和洋バイキング、ここもやはりゴルフリゾートらしく内容・味・満点。 もう一泊したい気持ちを残しながら11:00チェックアウト。 青島海岸で歓迎巨人軍の看板多数見ながら11:30青島着。 鬼の洗濯岩の海岸を歩き青島神社まで往復する。 |
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青島・鬼の洗濯岩 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
青島神社 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
『宮崎の新婚旅行ブームとプロ野球キャンプ』 1960年(昭和35年)に島津久永・貴子(昭和天皇五女)夫妻が新婚旅行で青島を訪れ、1962年(昭和37年)には新婚間もない皇太子夫妻(現天皇・皇后)が来訪、全国的に知名度を高めた。まだ海外旅行が高嶺の花の時代日南海岸は新婚旅行先として最も人気があった。 今はその面影は残らないが読売巨人軍の宮崎キャンプと恒例の青島参りは続いている。 40年前在籍したわが広島カープのキャンプ地は日南・油津、キャンプインの恒例詣では鵜戸神宮。 青島も新婚旅行ブームの面影は今はなく橋を渡って青島を訪れる観光客もまばら。青島から日南フェニックスロードを南下し鵜戸神宮へ。 |
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日南・鵜戸神宮 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
「運玉」を投げ入れることで願いがかなうといわれている。女は右手男は左手で岩の上の穴をめがけて投げ込む。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
飫肥(おび)城跡 |
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鵜戸神宮からNHK朝の連続TV小説『わかば』の舞台、飫肥(おび)城跡を散策した後もう四十年位前になるか、広島カープの一員として参加したキャンプ地日南海岸の油津を訪ねる。 キャンプ中、藤村2軍監督に叱咤され説教を聞きながら早朝散歩した油津海岸、朝の体重と帰りの体重が数kgも減るほどの猛練習した天福球場。衣笠・水谷・安仁屋・外木場・大石・古葉・興津・藤井・森永・大和田・山本同じ釜の飯の諸氏の姿が鮮やかに蘇る。40年も前の青春の思い出は懐かしく胸に迫る。 |
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天福球場 |
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40数年前広島カープの一員としてキャンプした汗と涙の天福球場、キャンプ中のある日レフトスタンド奥の山火事を発見練習を中断消化を手伝い新聞記事になったこともあった。 |
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油津での想い出に浸りながら九州旅行の全行程は終わる。帰りは真っ直ぐ宮崎空港へ。 マツダレンタカー空港営業所に14日間お世話になった車を返却。空港まで送ってもらう。 送迎を受けた直後ビデオカメラを車に忘れたのに気づき急いでマツダレンタカーに電話する、少し待った後無事あったと返事、よかった。もう一度空港へ持ってきてもらう。 なにより大切な映像が入っているビデオ、忘れて帰京するところだった。 空港1階のギャラリーで地元の女性フラワーアレッジメントがクリスマスや正月用飾りを展示即売していて、クリスマスりースを玄関用に買う。時間まで3階レストラン『魚山亭』で最後の夕食。 宮崎名物地鶏・黒豚とんかつ・冷汁など。 |
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宮崎空港3階魚山亭 宮崎空港3階魚山亭 |
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帰りの飛行機は宮崎空港19:05発JAL便搭乗羽田へは20:35着 |
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2006年12月8日〜12月21日 九州周遊日本再発見の旅 |
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